東大IPC

Story

東大IPCでは、ベンチャー投資だけでなく、「東大IPC 1stRound」という 創業3年以内の起業家や起業前のチームに対し、
事業資金・ハンズオン支援・東大やパートナー企業のリソースをZero Equityで提供するプログラムを提供しています。
採択先に対しては、ビジネス推進から資金調達まで東大IPCが並走して支援します。
創業までの経緯、どのような支援が実際にあるのか、起業家たちに語っていただきます。

時間のかかる創薬だからこそ、 早期のマネタイズを意識したビジネスモデルが成否を分ける

上場企業の社長/創業者に話を聞いていくシリーズの第1回目は、創薬バイオベンチャーのペプチドリームの共同創業者である窪田規一氏。ベンチャーのなかでも特に生き残りの難しいバイオ領域において、2006年に創業後、2013年に東証マザーズ上場、2015年には東証1部への市場変更を果たした。窪田氏自身は当初のゴールは達成したとして、2017年に取締役会長を退任。現在は、かながわサイエンスパーク(KSP)の中心母体でベンチャー支援のインキュベートを行う、株式会社ケイエスピーの代表取締役社長を務めている。日本最大のバイオベンチャー創業者として、普段は「成功体験」を聞かれることが多い窪田氏だが、「失敗体験」にこそ再現性があるという。そんな窪田氏に、経営における「失敗から学んだこと」を聞いた。

 

プラットフォームは、オンリーワンの技術やノウハウであるべき

――時価総額8,000億円といわれるペプチドリームの成功から、バイオベンチャーは従来のパイプライン型からプラットフォーム型のビジネスにシフトしています。この状況を、プラットフォーム型ビジネスの立役者である窪田さんはどのようにご覧になっていますか?

いま世の中でプラットフォーム型ビジネスといわれるものと、ペプチドリームが創り上げたビジネスモデルは、実は異なると思っています。私たちのプラットフォーム型というのは、2000年ごろから数多現れた先輩バイオベンチャー企業の、いわば「失敗」からの反省で生まれたものなのです。

何が失敗かというと、パイプライン型では薬を創るところが目標で、10年以上はかかるのが創薬の世界ですから、10年間ビジネスとしてお金が入ってこないわけです。

これでは資金が途中で枯渇してしまうリスクが高すぎる。それを避けるため、ペプチドリームではアーリーステージからビジネスができるようなモデルを考えました。薬の開発工程の、最初のディスカバリー部分の特殊な技術を開発できたため、それを糧として、スタート地点においてビジネスをスタートできる仕組みを作ったのです。それが世の中でプラットフォーム型と呼ばれましたが、いま創薬でプラットフォームと呼ぶのは、1つの化合物や構造体が複数の使用使途を持つ場合だったりします。しかし、それは応用でしかありません。

ーーでは、どういう技術であれば、早期からビジネスをスタートできる、ペプチドリーム式のプラットフォーム型が当てはまりやすいでしょうか。

買い手にとって汎用性がある、いろいろな形で使えると思わせられるものでしょう。

ペプチドリームのプラットフォームは、PDPS(Peptide Discovery Platform System)という、3つの特許をコアとして創り上げた技術体系です。ポイントは、その技術からではなく、そこから派生するバリューをビジネスにしたこと。PDPSというプラットフォーム「システム」が、創薬のディスカバリー段階において、特定のターゲットに対するヒット化合物を創ることにほぼ100%応えられる、ということをビジネスにしたのです。ですから契約において、薬を創る部分には一切関知していません。そこではなく、製薬メーカーがこれまで得ることのできなかったヒット化合物を提供して、それをお互いに薬に仕立てていくのがペプチドリームのビジネスです。

つまり、プラットフォームというのは、アーリーステージから収益が得られるビジネスモデルをつくるために創り上げたシステムなのです。

 

――製薬会社が創薬をする際に必須の行程において、ヒット化合物の提供という、この上なくわかりやすい価値提供を行うことが成功のポイントだった気がいたします。それに比べ、いまプラットフォームとされるものには、あると便利だが、製薬会社にとってマストではないというものも多い気がします。

そのとおりですね。従来のパイプライン型ではヒット化合物がないと先に進めません。であれば、そのヒット化合物自体を売り込むというビジネスをつくればいい。買い手に対して、当社の提供するヒット化合物はすごいというのを認めさせることができて、初めて成立するビジネスです。そこが、根本的に違うのだと思います。

 

――あえてペプチドリーム式のプラットフォーム型を言語化すると、どうなるでしょうか。

ある段階で確実にクライアントに理解して買ってもらえるものを、独自につくることですね。それも、できればベストワンではなくオンリーワンの技術やノウハウであるべきでしょう。

 

ケチこそ美徳。必要以上の資金は慢心をまねく

――窪田さんはペプチドリームの前に、DNAチップを扱うJGSというバイオベンチャーを創業されましたが、5年で解散されています。その要因は何だったのでしょうか。

創業した2000年はゲノム解析に期待が集まり、投資が集中していた時代です。私はゲノム解析では特定の遺伝子疾患しか分からないと思い、後天的要因が大きく関わる生活習慣病やがんについては、タンパク質の発現がカギだと考えました。そこでcDNA(complementary DNA)発現チップの開発を目指したのです。発想はよく、当時の勤務先を含む大手5社が出資して、コーポレートベンチャーとして創業しました。華々しくスタートして、調子に乗りましたね。資金や設備、人材も必要だというと何でも手に入ったため、遅れた時間を金で買うといってどんどん進めていました。成果もそれなりに出て、インターフェロンの1ヵ月後の効果予測を最大98%まで精度を高めることに成功。その後、抗リウマチ薬DMARDsについても2週間後の予測を90~95%にまでできました。

しかし、そこまで行けても、cDNAによる予測診断というゴールのためには臨床治験結果が必要です。それも、当初共同実験を行った施設とはうまく行きました。しかし施設数を増やして治験となると管理が難しく、お金もかかります。そこでVCから勢いで10億円近くを調達して走り続けましたが、4年目に出資会社間でトラブルがあり、はしごを外された状態で会社を閉じることとなりました。

 

――その経験からの教訓は何でしょうか。

技術開発が進めば、お金がついてくるわけではない、ということですね。バイオベンチャーというだけで億単位の資金が、そう難しくなく集められるもの。しかし、そういう資金調達ができるベンチャーでも、実はビジネスモデルはできあがっていなかったりするのです。

JGSでもコンセプトはあったが、それをどういう形で展開するかのストーリーはできておらず、その都度よいデータを出すことに注力してしまいました。今思えば、それではビジネスではなく、研究所と同じです。しかも資金は必要以上にあったので、高価な機器もすぐ買い換えたり、調査や学会で頻繁に海外に行ったりと今思えば無駄なお金の使い方をしていました。結果として技術開発は進んでもビジネスは進まず、最終的にはお金がついてこず技術開発も止まったわけです。

――それは、その後のペプチドリーム創業の際にどう生かされましたか。

「ケチこそ美徳」を座右の銘にして、東大の倉庫からテーブルやチェアを借りて使ったりしていました。その精神を貫き、PDPSのできるまでの2年間は特に、必要以上のお金があるとよくないと思い、苦しかったけれど意地でも資金調達は考えませんでした。そのうちに、共同研究で資金を提供してくれるクライアントが見つかり、収入ができました。ですから、その後UTECからの勧めで資金調達を行いましたが、実は上場するまでその資金には手をつけていません。

 

――ほかに、過去の失敗から学んだことはありますか。

創業当初から、「Our Dreams Can Come True」をスローガンにして、みんなの気持ちを一緒にしてがんばろうと掲げました。少ない人数においては特に、協調することが重要だからです。かつて人材採用で、協調性や周りとのコミュニケーションをあまり重要視せずに採用して、苦労した経験からですね。研究領域や論文などの実績でいかに求めるものとマッチしていても、協調できない人であれば、組織がうまく回らなくなってしまうと思いました。

 

研究開発とビジネスは分担し、尊重し合うのが成功の秘訣

――最初の会社では、ビジネスモデルがよく考えられていなかった。だからこそペプチドリームでは、最初からビジネスモデルをかなり考えてジョインされたわけですね。

そのとおりです。ベンチャーにおけるビジネスモデルというのは、やりたいことの構想だけではダメ。ある程度の時間軸において、その時間軸に則った形で会社が動かせるかどうかを前提にしたビジネスモデルでないと成り立ちません。

JGSでも、こんなことをやりたいというのはありましたが、どの段階でどこまで行くという、それぞれの通過地点における目標を立てることなく走ってしまいました。研究室で、いいデータが出たら論文が書けるというのと同じ感覚で、それで失敗してしまいました。ペプチドリームでは、それぞれの地点で達成しておくべきことを決めておき、それを目安に進めています。

また、契約時だけ収益が上がるのではなく、そのヒット化合物で薬を開発するまで継続的に収入を得られるようなスキームにしました。そのうえで、この研究とビジネスのやり方を、最長20年のパテント期間が切れた後もデファクトスタンダードにすることをゴールとしたのです。そこまでの考えが2006年創業の際に、すでにできていました。そして2017年までにそれがほぼ完成したので、私自身は現役を退いたわけです。

新しいビジネスモデルではありましたが、ビジネスとしては常識だったと思います。それなしに突き進みすぎていたのが、それまでのバイオベンチャーだった。私は普通のビジネスのセオリーどおりにやったに過ぎません。

 

――ある程度の時間軸において、その時間軸に則った形で会社が動かせるかどうかがビジネス化の肝というのは本当にそう思います。1stRoundでも初回のハンズオンミーティングでは、必ずスケジュールとマイルストーンの設定を行っています。とはいえ、研究者と一緒にディスカッションするときに、そうしたビジネスのセオリーは、すんなり受け入れられたのでしょうか。

一般的には開発者がCEOとなり、意見や発言権が最も強いものです。しかし、ペプチドリームでは東大教授であり共同創業者の菅(裕明)さんの意見はサイエンティストとしてのものであり、ビジネスにおいては我々経営陣に任せてくれた。立ち上げ段階から研究開発とビジネスの役割分担ができていたわけです。互いのテリトリーを尊重しながら動ける体制なので、他の研究者や管理部門も非常にやりやすかったです。

ビジネス側としては、研究者に楽しく研究のできる環境を作ることが大切。ですから、年に数回はBBQをやるなど楽しい雰囲気づくりに務めており、結果としてビジネスと研究者がごく自然にコミュニケーションをとれていました。

 

――では、ペプチドリームでは後悔や失敗はなかったでしょうか。

マザーズ上場した2013年に、大変なことがありました。要因は、製薬業界では常識だと思っていたことが、投資家や株式市場のとっては必ずしも常識ではない、ということを理解していなかったことです。

そもそも創薬の契約ではまだまだ製薬会社の立場が強いため、たとえば製薬会社の事情で契約を突然切られるようなケースも多くあり、それを当たり前に受け止めていました。そして実際に、ある製薬会社内である問題が起こり、その影響でたまたま上場直後に当社との共同開発がストップしてしまったのです。すると株式市場から問題視され、約2週間は株主とマスコミへの対応に忙殺されました。

 

――上場前後で、どう見られるかの意識を変える必要があるのですね。

そうですね。特にバイオベンチャーは上場に際して大きく注目を浴び、その後は大きく株価を下げやすいものです。上場時が株価のピークで、その後下がり、4ヵ月ほど株価が上がらなければ、その低迷状態が基準になってしまいます。ですから株価によい影響があるよう情報提供に努め、ブランディングを意識して株式市場にアピールするべきです。

――窪田さんが、もし新しいバイオベンチャーを創るとしたら、どんなベンチャーにしますか。

その有する資産、原石を磨けるような会社にしますね。現在、私はケイエスピーでインキュベーションキャピタルという形で、スタートアップベンチャーのビジネスモデル作成から全てのステージをサポートできる体制を創ろうとしています。ペプチドリームと同じような考えをもつ会社を、これから5社以上は創っていきたいと考えています。

――最後に、起業を考える方へのアドバイスをお願いします。

自分や自分たちを評価するのは他人であるということ、それを常に心がけるべきです。特に技術系ベンチャーだと、自分たちの持っているものや開発したものが一番素晴らしいと思い、それに傾注してしまいがちです。ですが、それがどういう形で世の中に認められるかは自分たちの思いよりも、外からの目線によるのです。常に、自分がやろうとしている技術やビジネスモデルに対する反応はどうなのかを、自分の目線でなく他人の目線でしっかり見ること。それを忘れると自画自賛になり、失敗につながりやすいでしょう。

 

 

 

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