GE、日産、日本電産を経て体得した、チェンジエージェントの極意とは

アメリカン・エキスプレス・インターナショナル, Inc.|社長 吉本浩之氏

 今回話を伺うのは、アメリカン・エキスプレス・インターナショナル, Inc.代表の吉本浩之氏。日商岩井(現、双日)の自動車部門を経て、GEのファイナンス部門において、ビジネスプロセス変革プロジェクトや企業の事業再建を手掛け、手腕を発揮。その後日産自動車(株)入社後は、グループ会社の専務執行役員として組織活性や業務改革を手がけ、日産本社の商品企画本部長、タイ日産社長を歴任。そして、日本電産社長を経て、2021年6月より現職を務めている。

 プロ経営者として、創業者を支える経験や、大企業の舵取りを任される大役を担ってきた吉本氏に、チェンジエージェントとなった経緯と矜持、そこからスタートアップ創業者にも役立つポイントを聞いた。

商社マンから経営再建請負人へのプロセスの鍵は「数字とグローバル」

――吉本さんは商社からキャリアを始めておられますが、どういうことを成し遂げたい思いがあったのでしょうか。

もともと京都の出身で、大学は大阪でしたが、初めて大阪に行ったのも受験準備で初めてというくらい、京都しか知らずに育ったんです。だから、社会に出るときにはむしろ東京を通り越し、世界で勝負したいと思い、商社に行きました。この、“グローバルで勝負する”というのは、今も自分のテーマですね。

 

1991年の入社から2003年まで、通算10年以上にわたり日商岩井で働く中、さまざまな経験を積んでいきましたが、他の商社のようにチームで動くのはでなく一人で切り拓くことが多い、個人商店の集まりの色の濃い風土の中で鍛えられました。ある意味で起業家を生みやすい土壌で、当時から社員は独立する先輩を尊敬し、会社も推奨するような社風でしたね。

 

私自身は、自動車本部にて海外での製造、販売の担当からキャリアが始まりました。入社1年目でイランに行き、約2ヵ月オートバイ工場の現地生産の調整の業務に携わりながら、業務や効果的なグローバルコミュニケーションのやり方を自ら学びました。2年目には中南米などでオートバイの販売代理店を立ち上げ、25歳でデトロイトに駐在しました。国ごとに特定のブランド車の生産・販売を請け負って、ディーラーを統括するなど、サプライチェーンのあらゆる場面で仕事をゼロから作りあげ、それを回していく日々でした。ファイナンスももちろん見るので、経営のイロハが自ずと身につく環境だったと思います。

――その後、2003年にGEの金融系グループ会社に移り、シックスシグマ・マスターブラックベルトとしてビジネスプロセス変革やパーソナルローン事業等の再建をされるわけですが、製造現場から事業再生への転身は、大きな変化に見えます。

商社でも新しい仕事に際しては数字やデータをベースにしてマーケティングを見ていくので、様変わりということではありませんでした。実は大阪大学では社会学専攻でしたが、その軸は統計なんですね。シックスシグマはその統計を武器にして変革を進めるフレームワークですので、以前から興味がありました。

 

また、当時のGEは2001年にジャック・ウェルチからジェフ・イメルトに代替わりしていて、それも面白いと思いました。もちろんグローバル企業であるというのも、私自身の志向に合ったものです。実際、GEコンシューマー・ファイナンスでレイクの事業再生を手がけたことで、変革を請け負い、推進する「チェンジエージェント」の面白さに目覚めたといえます。

 

――そうして2008年には、日産グループの役員に転身されます。これはどういう経緯だったのですか?

GEではチェンジエージェントとして評価を得ており、自分のキャリアにとってもそこが最善だと思っていました。が、日産から熱心なオファーをいただきお話を聞く中で、日本の製造業であり、私が商社でやってきた自動車産業だというのでチャレンジしがいもあり、相当悩みました。

 

そんなふうに選択を悩むときには、どういうわけか、チャレンジの多い、いばらの道をあえて選んでしまいますね。そうしてもがき、何とか変革、改善を成し遂げようとするのが、私自身の習い性となっている気がします。

 

実際、グループ会社の役員として自動車部品会社の組織活性、業務改革も行うことができ、良い選択だったと思っています。その後、タイ日産の社長として、部品供給のサプライヤーから販売代理店まで揃う大きな拠点の経営を任されて、仕事も乗りに乗っていました。

 

――その後、2015年に日本電産に移り、グループ会社社長や本社代表取締役社長を歴任され、事業再建や成長を主導されることになります。これは当時、創業者の永守氏からプロ経営者としてバトンを託される流れだったといえるでしょう。この背景をお聞かせください。

これも、チャレンジの多い道を選んだ結果ですね。日産では、経営陣の一員としてこれから本格的に進んでいくという段階であったのに、日本電産ではまた、グループ会社の社長から始めるわけですから、ハードワークは覚悟していました。しかし、やはり創業者である永守会長の人間的な魅力は大きかったです。話していると、ストンストンと腑に落ちることばかりなんですね。その経営哲学に惹かれ、波長も合い、入社を決めました。

 

最初は、日本電産トーソクという年商500億円規模の会社で、2%ほどだった営業利益を約1年で10%前後にまで改善。それで本社に呼ばれ、副社長として車載事業の立て直しを主導したことで、2018年の社長就任となりました。

――創業社長からのトップ交代は苦労が多いと思われますが、日本電産でのご自身を総括するといかがでしょうか。

いろいろありましたが、一番のハイライトは最後の2年間です。海外事業を統括するグループ会社のCEOとしてアメリカ駐在時に、海外でM&Aした約20社のPMIを行いました。総売上規模が5000~6000億円で、従業員数は約2万人いましたが、統合に苦戦している情況でした。「明日から行ってくれ」といわれ、言葉の通り翌日スーツケースを持って空港に向かいました。結果的に、2年間帰国することなく長年の懸案であった海外事業の建て直しに従事しましたが、やりがいは大きく、タイ日産での経験も生きて、当初の想定より2年は早く事業や組織を立て直すことができています。

 

――そして、2021年5月に退職され、6月に現職に就任されました。これはどのような経緯だったのですか。

日本電産時代にもいろいろオファーはありましたが、辞める理由がなかったのです。それが、海外事業のPMIをやり遂げ、軌道に乗せきったところでちょうどアメリカン・エキスプレスから声をかけられました。ご存知のように、創業から170年以上も経過した安定した会社ですが、更なる成長に向けてチェンジエージェントを求めていたのです。私のグローバルのバックグラウンドも評価してもらえ、前任の社長も知己であり、その後継であれば役に立てるし面白いと思い、引き受けました。

 

創業者もチェンジエージェントも、会社の未来を創造し続けるのが仕事

――創業者や経営者にも共通するかと思いますが、改めて、チェンジエージェント、変革請負人として重要なことは何でしょうか。

次の8つのステップが重要だと考えています。

1.  ビジョンを掲げる

2. 根本的な解決策を見極める

3. 多様性を武器にチームのベクトルを合わせる

4. 人材の真贋を見極める

5. できるまでやる

6. 俊敏な現場マネジメント

7. 権限委譲とマイクロマネジメントのバランス

8. 自分の運命は自分で決めて、全力を尽くし、修羅場も楽しむ。最善観

 

特に最初は、現状から始めると制約条件ばかりが目につき、言い訳がはじまってしまうもの。「世界一」でも「IPO」でもよいので、やりたいことや夢、ビジョンを最初に掲げるべきです。そしてゴールからの発想で、今足りないものをどうやって身につけていくかを考えます。データや事実により現状を正しく認識し、ギャップを特定したら、課題を見える化し、根本原因を洗い出す。それに向け、アクションプランを優先づけて、実行していきます。

 

その際には責任者を決め、プロセスと結果に対してKPIやマイルストーンを設定。PDCAを継続的に進捗管理し、必要に応じて軌道修正もしながらゴールを目指す。J. F. ケネディが「60年代中に月に行く」と言った1961年当時は、地球の軌道周回もできていなかった。けれどこうしたプロセスで、技術開発の遅れやロケット科学者の不足を満たし、政府予算配分やプロジェクトマネジメントを実行していくことで、1969年7月20日に人類は初めて月面に降り立つことができた。これがアポロ計画です。こういうことを今、アメリカン・エキスプレスの日本のビジネスの成長むけても、始めています。

――そのなかで、3の「チームのベクトル合わせ」や4の「人材の見極め」など、組織づくりもやはり重要なのですね。

そうですね。ベクトル合わせは本当に難しい。再生を手がけると、どのような会社でも最初は経営陣の考えがバラバラで、パッシブ・レジスタンスのような非協力的な抵抗があるものです。しかし、その多様性を武器にできれば力強いものとできるでしょう。

 

人材の採用やアサインも難しい。これまで何百人と面接してきましたが、うまく見極められたと思えるのは半分程度です。その人に対して2%くらい何か引っかかりを感じても、98%は良いからと採用すると、後々になってその2%がやはり出てきてしまったりするのです。ですから、最初のインスピレーションは大事で、そこで100%の確信が持てないとなかなか採用には踏み切れないように感じます。

 

7の「権限委譲とマイクロマネジメントのバランス」については、組織が未成熟な段階ではとにかくマイクロマネジメントが必要ですが、ある程度整えば、人を育てるために権限委譲を進めるべきです。リスペクトされていないと感じると、成長が阻害されますから、さじ加減が重要ですね。これは起業家にとっても大事な視点です。創業期は自らエクセルでキャッシュフローを作って見ている状態から、どこかの段階で権限委譲していかねばなりません。ですが、権限委譲しすぎるとスピードが損なわれるともいえ、バランスが大事です。

 

――6の「俊敏な現場マネジメント」とのバランスですね。5の「できるまでやる」は、永守イズムの継承といえそうです。

そうですね。1回2回で諦めず、10回20回と、できるまでやる覚悟が大事です。できない理由を見つけてしまうと、成長は止まってしまうでしょう。

 

――8の「自分の運命は自分で決めて、全力を尽くし、修羅場も楽しむ。最善観」も、吉本さんご自身の経験が色濃く反映されているのでしょうか。

そのとおりです。そのときは辛くても後で振り返ると、人生を楽しんでいると思えるものです。前職で海外事業を任されてアメリカに1人で行ったときも、辛さ以上に自分にとってのチャンスだと思いました。創業者ですら手をつけられていなかった海外事業を立て直せば、経営者としての大きな自信になりますし、現地の約2万人もの従業員を幸せにすることができる。そのように楽観的に捉えて、成し遂げられました。

 

ですから、例えば万が一不慮の事態が起こってしまっても、立ち止まって人生を見つめなおす機会だと考えられるといいですね。最善観というのは、楽観主義のような考え方で、経営者には大事なものです。

そのようなチェンジエージェントのあり方は、起業家、創業者にも共通するものですね。

チェンジエージェントと同様に、創業者は会社の未来を創造し続けなければなりません。ただ、いつまで先頭に立ち続けるかは難しいですね。先人のカリスマを見ると、Hondaの本田宗一郎さんが、経営者として絶頂期にある65歳で後進に譲ったのは見事でした。非常に勇気あることだと思います。

 

Googleの共同創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、従業員200人程度となった創業3年目に、プロ経営者であるエリック・シュミットをCEOに迎え入れました。もちろん2人とも経営陣に残りはしましたが、トップにプロ経営者を据えて任せるのはスマートなやり方だったと思います。エリック・シュミットもちゃんと創業者の顔を立てながら経営をマネージできたわけで、それがGoogleのビジネス面での成長を支えたといえるでしょう。

 

いろいろなやり方はありますが、創業者はチームで取り組んでいくなかで、どこかで権限委譲に向けた移行期がやってきます。それは考えておくべきですね。

 

――スタートアップの創業者やその予備軍となる人たちにメッセージをお願いします。

夢は大きく、高いビジョンを掲げてもらいたいです。私自身は、経営の再建は得意でも、自分でゼロからは創れません。ですから、やりたいことを持ち、イノベーションを起こせる人を尊敬しています。もっともっと世の中に出てきて、世界をフィールドに存在感を示してほしいですね。そのためにも、プロ経営者などとうまく経営体制を作っていくとビジョンが実現しやすいと思います。

 

――吉本さんの考える「プロ経営者」とは、どういう存在でしょうか。

どんな状況でも、言い訳なしに結果を出せる人ですね。経営を経験していればプロ、ということではなく、実績を重ねている人、になるでしょう。

――スタートアップの場合は、グロースさせられるかがポイントになりますが、経営再建手法はそこでも適用できるものですか。

経営再建手法とグロース戦略は同じです。まずはボトムラインを立て直すために徹底的にコストを見直し、2~3ヵ月で損益分岐点を一気に引き下げます。次にやるのは、トップラインの引き上げで、ポートフォリオの見直しなどを行うわけです。そしてイノベーション技術への投資や、必要な人材の採用など、手を打っていきますので、グロースさせる点ではスタートアップにも共通します。

 

コストを下げ、売上を上げ、それによる利益を人や事業の投資に回すという3つが経営者の仕事です。特に人、組織づくりが難題であり、経営者の悩みの半分以上は組織がテーマですね。

 

グロースフェーズでのスタートアップの組織づくりでは、人事とファイナンス、つまりCHROとCFOが肝要です。CTOはスタートアップの場合は創業者になるでしょう。日本企業は技術で勝って、ビジネスで負けることが多く見受けられるので、ビジネス面を磐石にするためにこの2者をグロースの要とすべきなのです。

 

私自身は、今後も変革の推進者として組織やビジネス、そしてそこで働く人たちの成長に携わっていきたいと考えています。そこで働く人たちが、誇りを持てるような夢やビジョンを掲げ、そのビジョンに向けて組織やチームの目線を合わせて一生懸命に取り組んでいく、その先にビジネスや組織の拡大、そしてそれぞれの人が、個人としての成長を実感できれば、本当に素晴らしいですよね。

 

 

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